八ツ場(やんば)ダムショック
本日、二つ目のブログです。
なにか報道番組の視点に疑問を感じざるを得ない。
予算削減策と混成で報道するので。
民主党がマニフェスト実現の予算を生み出すための「八ツ場ダム中止」に聞こえてなりません。
そもそも、八ツ場ダムが誰のために必要なのか?
そもそも、本当に八ツ場ダムが必要なのか?
それらの判断は政治哲学に裏打ちされた信念によるものだろう。
かつての自由民主党の手順は
「地元の声」(多くは一部の利権主義者の声)を聞いた。
「こんな要望がある」と、関係各省に予算をつけさせる努力をする。
党内で合意を取り付けて予算化する。
動いた権力者と「地元の声」をあげた人が政治的利益や金銭的利益を獲得する。
かつて、気骨のある政治家や官僚が「公共の利益」に基づいて「動くべきか、動かざるべきか」を判断していた時代があった。
時代とともに権力者たちは「予算をぶんどったものが得をする」という風潮にしてしまった。
よく考えて欲しい!
すべて「国民(県民であり市民である)の税によってまかなわれる。
政府が何かを生産しているのではないのである。
民主党に政権が変わった。
民主党はキチッと統一された政治哲学を語るべきだと思う。
抽象的に誤摩化すのではなく具体的に。
民から聞き、民に説明することを怠ってはならないのだ。
なぜなら「公共政策」には多様な民の合意形成が必要不可欠だからだ。